【読了】一色一生

ハチミツとクローバー 1 で、女性芸術家で幸せになった人がどれだけいるか
という台詞が出てきたのをふと思い出した。
物を創るというのは、24時間365日、何をしていても全ての時間を
創作に注ぎ込むことだ。
加減出来る人もいるのかもしれないが、全力でやるならば
他のいろんなものを犠牲にしなくてはならない。
男は勿論だが、女のほうがより多くを犠牲にしなければならないように
感じる。今の日本では特に。
母という役割、妻という役割を演じながら、何の援助もなく仕事に没頭するのは
物創りでなくとも相当に辛いことだと思うのだ。
それをひしひしと感じた。

絵や文章のように、じかの思いをぶちまけて表現するものを鋭角とすれば、
物を通しての表現であるから、直接ものをいうわけにいかない「鈍」な仕事なのだ
という言葉があったが、これはちょっと同意出来ないかなと思った。
絵や文も、物を通しての表現であると思う。

歴史を学んでいて、清貧とは、と考えているところなので
“弓ヶ浜の人々は、「豊かに貧乏してきた」といみじくも嶋田さんはいわれたけれど、それならば現在の我々は「心貧しく富んだ生活をしている」というべきかもしれない。”
という言葉にはとても共感を覚えた。

“いつの間にか図太くなって、人前で話すこともさほど苦ではなくなったが、いいかえれば若い時の鋭敏な神経が鈍くなったのか。だんだんと持時間の少なくなってゆくのに、何を切り捨て、何を残したらいいか、本能的に判断を下しているのだろうか。”
年をとるとどんどん衣を脱ぎ捨て透明になっていくという記述で
これもハチミツとクローバー 1の青春スーツという表現を思い出した。
年を経ることで積み重なるものもあれば、どんどん身軽になるものもあるし
また、そうでなければならないだろうなと思った。

2014.9.4