【読了】一刀斎夢録 下 (文春文庫)

上巻と同じく、色々と描写が気にかかる。
自分は近藤先生を尊敬しているので、
いくら同門の仲間である斎藤さんの言葉として書かれているとしても
近藤は所詮百姓だの、死にたがりだの言う言葉は腹が立つ。

土方さんについても、内藤隼人は宿場の名前だのとあるが、
隼人は土方家代々の当主が名乗ってきた名前だし、
宿場の名前にしてもそもそもは信州高遠藩主内藤家の屋敷跡だから
内藤新宿と呼ばれたのだ。
高遠藩と言えば保科正之公。会津藩とも縁が深い。
どうでも良くそこらの宿場からとってつけた名ではない。

友を殺された永倉の辛抱という描写も納得がいかない。
山南と土方が仲が悪かったという切り口だから仕方ないとは言え
随分だなと思う。

近藤さんの狙撃された時の肩の怪我も、多摩地方に来た頃には
肩より上に手が上がらない状態ではあったが
切腹できないようなことはない。

土方さんはもはやこれまでと思って五稜郭を出たわけではなく
今は手下から離れた、弁天台場に籠もる新選組を助けたかったからだ。

良順先生もきちんと学があり理にかなったことを言う人であったし
あの段階で会津を捨てるか捨てないかの話ではなかったはず。
新選組は粉々になったなどなんども言わせているが
そこも違うと思う。

林に、朝敵にされたのは芹沢の勤皇精神を忘れたからだと言わせているが
勤皇から外れたことは一度たりとしてない。
容保公についてきたことがそのひとつの理由であると思う。

谷も武田も切ったというところも突っ込みたいところ。

以前上杉景虎の本を読んだ時に思ったのだが、
すでにあるイメージに振り回されたくないという筆者の気持ちはわかるのだが
殊更理想を壊すような書き方がさすがに不愉快だった。
そのときと同じ気持ちである。

新選組への愛情はあるのだろうと思う。
だが、歴史の見解が自分とは異なるし、
異なった上でフィクションとして楽しめる内容ではなく
そこはどうしても変えてほしくない部分が変わってしまっている。

歴史小説を書くということは、先祖いじりをしていることだ
申し訳ないことだ、と考えて書いている人の小説の方が
自分は好きである。

2015.2.27