memo:スナックちどりを読んで

気になったところを抜粋。

17頁
私だってそもそもそんなことになってしまう気はなかったのだ。
できれば彼との間に子どももほしかったし、
彼とだってずっと楽しく過ごしていたかった。
別に嫌いで別れたわけではなかった。
二人の関係がもうどうしようもなくなったから別れただけだ。

18頁
でも彼と暮らしていた今よりも少し若き熱い日々を思い出すたび、
やはり目の前が暗くなった。(中略)
楽しさだけを基準にするなら、話上手で勘がよく、
人の気持ちをさっと察して的確なことを言える彼との暮らしは
やっぱり楽しかったのだ。

28頁
自分がまだ若くて余力があれば、
彼がこんなにも毎日面白いというだけで全然つきあえたのだ。
しかし生活に関する細かい決定がからんだり、
人生の重みを味わうようなこと(たとえば、祖父母の死を見たり、
子どもを産まない人生を考えたり)となると、
ずっとこうだと思うとやっぱり疲れちゃったんだよな、
と何回も納得したのと同じ道筋で私はもう一回納得した。

29頁
つらいものやきついものを、ただただ受け止めた上で
陽気を心がけるということと、
見ないようにして散らして浮かれるというのは、似ているが大きく違うと思う。
そして一割でも逃げが入ったら、その前のがんばりは全部台無しになる、
そんな気がした。

59頁
「あんなにぼろぼろでも、痩せていっても、這うように生きていても、
あの子はなぜか自殺する感じがない。
おばあちゃんがどれだけあの子をだいじに育てたのか、
そこでわかる気がする。」
80頁
先の約束をひとつする度に、未来に小さな光がひとつ灯った。
それを実感できるくらい弱っていた。
このところずっと今日を泳ぐのでせいいっぱい、明日は溺れるかも、
そんな感じだったことをこの町に来て私は悟った。

157頁
毎日が楽しくて、それを重ねていったら愛になりましたって、
そういうものでは決してなかった。
まるで借金を抱えている人みたいに、
今だけは借金のことを忘れていようってむりに見ないようにして
楽しいと思うような、そんな日々の積み重ねだった。
入院している人が一時帰宅して、
病院のことは今だけ忘れようって思うような
切実でありがたい忘れかたではなく、
明日の朝仕事上の重要なミーティングがあるけど、
すごくいやな人がいて気が重い、だから飲んじゃえ、
みたいな甘えた逃げの時間だった。
166頁
終わってくものの枯れたきれいさっていうのには、
これから始まるものの華やかさと同じくらいのよさがある。
私は、若いうちにそれを見ることができて、
知ることができてほんとうによかった。
この世には美しさが全くないものは一個もないんだ。
見つけるほうの目にそれがあれば、どんなものでも美しさを持ってる。
170頁
「いいんだよ。おばさんになって、おばあさんになって、
ただそれでいいんだよ、きっと。」
ちどりは言った。
「それがなにより最高なんだ。一回きりの、この上ないことだよ。」
私はうなずいて、ほんとうにそうだねと微笑んだ。
昔はそうは思わなかった。新しいもの、始まるものが好きだった。
古びないもの、キラキラしたもの、暗くないものが。
でも今はなにもかもが大切な旅の景色のひとつになっていた。

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