武家の躾(しつけ) 子どもの礼儀作法 (光文社新書) (日本語) 新書 – 2016/9/15
小笠原 敬承斎 (著)

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「程を知る」「一歩先を読む」「つねに“平常心”で過ごす」
「家族の間でも礼を欠かさない」……etc.
700年前より脈々と引き継がれてきた小笠原流礼法の伝書に学ぶ
「躾・子育ての秘訣」「親の心得」とは――

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“今、私たちの日常生活に何が欠けているのかを大人が気づかなければ、子どもたちの未来には、こころが希薄で事務的なコミュニケーションばかりが行われることになってしまう。”
にとても共感する。

ことば遣いの乱れを指摘されると反発する人も多いが、
ことば遣いはこころ遣い という感覚が無いからではないだろうか。
日本語に細やかな言葉遣いが存在しているのは相手に対する心そのもの。
それが日本語の、日本文化の良いところである。
それはつつましいものであり、欧米文化に毒されて
謙虚さを否定し個人主義をもてはやす風潮も現代には強いが
程を知り、自分をひけらかす事を避けるというのは
美しい行為でもあり、当然のことでもあると思う。

非難や罰則で人は育たない。
こころが納得していなければ同じことの繰り返し。
子供への躾の場面に限ったことではないと思う。
スポーツの練習や芝居の稽古など、必要以上に怒鳴り散らす
『指導者』は残念ながら多い。
おどしたりだましたり強く叱りつけたりしないことが
幼い時から勇気を養うことに繋がる。

携帯が普及してきたのは良いが、
かかってきた電話に出る前に同席者に「失礼します」と
言いもしない人間が本当に増えた。
相手は突然置いてけぼりにされ、会話も中断して放置される訳で
人を軽んじる行為だと思う。

襖を3回に分けて開けるのは、
まず5センチほど開けて中に入る合図、
身体の中心くらいまで開けて互いの状況を見てから開けるから。
確かに、襖は鍵も無ければノックをするものでもない。
この辺りも日本人の考え方の現れだったのだろうと思う。
今はこの辺りも洋風化されていて、ノックや鍵の方が馴染みがありそうだ。

常に子供へ心を傾けるのが武士の子育て。
甘やかすことと愛情を与えることは違うというのは
勘違いされがちな気がする。
父親を尊敬するのは、現代でも必要なルールだと思う。
男尊女卑だのといった問題ではなく、哺乳類が集団で生活するに当たり
リーダーに従うのは生存する確率を上げる為にも当たり前のことである。

庭から父上と声をかけるのは無作法、とあったが
確かに自分も父に物を取らせたり頼み事をしたりするのは
いけないと躾けられた。
現代は、『家』という概念が希薄になり過ぎている。

頭で考えているのはまだ十分身についていないから。
意識せずに体が動くようにするために必要なのが稽古や練習だ。

答えを出さず子供が考えて答えを出すまで待つ、
叱るだけでなく褒めるというのも
意外と大人ができていないことだと思う。

生活が便利になるのは良い面もあるが、
現状に満足してしまうタイプにとっては
考えることが減り想像力が欠如するのは確かにそのとおりだと思う。
想像力がないと、相手を思いやることができなくなる。
だからこそ、あらゆる角度から物事を見たり聞いたり
考えたりする訓練を家庭で行うべだと思うし
その礎として学校の勉強も役立つのだろうなと感じた。

誤解して武士は簡単に名誉ごときの為に切腹し命を軽んじる
という解釈をしている人も多く、驚くことが度々あるが、
“武士は戦場のみならず、いつでも自分の身を処する覚悟があった。
決して命を軽視していたわけでも、自分の人生を悲観して捉えていたわけでもない。自分の立場をわきまえ、生き方に対する名誉を重んじていたゆえに、覚悟をもっていたということだ。”

家族でも目上には敬語を遣い、敬語を自然に身につける。
これも、友達のような関係の親子が良い、という感覚の現代では
受け入れられないのだろうか。
自分も常にではないものの、親には敬語も使っていた。
確かに周りからは、厳しい家だと思われていた。

現代は無責任な人が増えた。
実行できないことは口にするな、というのも
頷くところだった。
約束というものを真剣に考えておらず、平気で待ち合わせに遅れ
頼まれたこともやらない。

武士に二言はないというのは、誠に対する己の誇りの高さがあったから。

雨傘を腕にかけたり本体を手に握って横に持ったりして
周囲に刺しても気にしない人も増えたが、
武士であれば刀のこじりを気遣いして立っていたし
自分の幅も知っていた。

子供が靴を履いたまま椅子の上に立っても
何も言わない親。
扇子の使い方も知らないので、自分の顔に風を当てることだけ考えて
間違えた使い方をして周囲にも風を当ててしまう人が多い。
本来、考えて扇ぐのが当たり前だし、
上の人がいるときは使わないものだ。
扇ぐことで暑さが厳しいことを周囲に実感させるから良くない
という感覚も最早無いのだろう。

水は器にしたがう。水の様に生きる という言葉、素敵だなと思った。

厳しいことを書かれているようでいて、
「窮屈な礼儀なら必要ない」ともある。
規則や手順は相手との和、環境との和で決まるものだ。

無作法な人も如何にも作法知ってますって人も同じ。
問われてもいない知識をひけらかすのは褒められたものではない。

頬紅は顔色を良くし、周囲に不快感を与えないためのもの。
現代の化粧も同じ用途のはずが、電車内やカフェの席等でメイクをする者も増えてしまった。

己を消し目に立たないよう心遣いから美しい所作が生まれ周囲と調和する。
こうした感覚は、現代ではあまり無いのではなかろうか。

自分は子供の節目となる行事はきちんとしてもらえる家で育ち
服装の簡略化もなかった。
たとえば、七五三はきちんと着物であったし、スニーカーではなく
足袋と草履を履かせてもらった。恵まれていたと思う。
初詣などもそうだ。武家の躾というタイトルではあるが、
日本人であれば当たり前だったはずの大切な事柄が書かれている本。

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