【読了】鋼のメンタル (新潮新書)

タイトルがユニークですし、非常に百田先生らしい内容でした。

落ち込んだりいっぱいいっぱいになったりしても、
よく考えてみれば大したことないことというのは往々にしてあります。
人に悪く言われれば落ち込みますが、よくよく落ち込んでいる理由を切り分けてみると、
別に自分のことを信じてくれない、自分のことを嫌っているような人から
嫌われり敬遠されたりしても痛くも痒くもないのです。
ただ、そう割り切ることはなかなか難しいですよね。

全体的に、確かにそれはそうなのだけれど、かと言って誰でも実践できるかと言われれば
なかなか難しい、という箇所も多かったように思います。

周りを気にして言いたいことを我慢する人が好かれているかと言うと、
軽んじられていることが多いというのも頷けるところです。
波風を立てないように、というのは和を重んじる日本人の美徳ではありますが
かと言って言うべきことを言わないのでは
自分の意見が無いと舐められることもあるでしょう。

会社で上司に意見をしたところで、クビになる程度で命は取られないというのも確かにそうです。
追い詰められているときは世界が狭くなってしまっていて、
今の会社を辞めて別のところで働くという発想ができなくなりがちです。
ただ人によっては転職することが難しく、クビになって仕事がなくなれば
収入がなくなり生きていけなくなるという人もいるでしょう。

戦争を経験していて実際に命懸けで生きてきた、というのはなるほどと思うのですが
もっと辛い人もいるから自分なんでまだ大丈夫、という発想は
個人的にはあまり好きではないのと、
もっとひどい状況だってあるから、みんな頑張ってるから自分にだってできる、という考えになることは、
基本的にある程度メンタルが強い人や、少しでも前向きになれる状況でないと難しいとも思います。

打たれ強いことと厚顔無恥なことは違うというのは全くそのとおりで、
自分が間違っていたらすぐに謝るべきです。
今の日本の”偉い人”の中には”偉『そう』なだけの人”も多いです。
本当に実力があって自信があることと、
人を見下したり傲慢になったりすることとはイコールではありません。
本当に自信がある”偉い人”は謙虚で、人の話も聞きますし
自分に非があれば認めて謝ります。
誇り高いことと非があっても謝らないこともイコールでは無く、
やることもやらないのに偉そうにふんぞり返っているだけの人の
なんと多いことかと思います。

また、事を円滑に進めようとして非がないことも取り敢えず謝罪してしまうことはかえって相手に対して失礼でもあり
その場しのぎに謝ることで「脅せばごねたもん勝ちできる」と思わせる要因にもなります。
モンスター・クレーマーなどと言いますが、これは接客業界サイドが育てたとも言えるでしょう。
外交においても同じことが言えます。
間違いがあるなら認めて謝罪する。無いのならいくら謝罪を求められたとしても断固謝罪しない。
意志の強さと誠実さが必要です。

自分は何事も”誠”が大切だと思っています。
因みにその1つとして、人の悪口は言いません。
働いていると、女性の中には人の悪口が大好きで、よそのグループや今ここにいない同じグループの人の悪口を延々言っている人もいます。
自分はそうした行為が不愉快に感じますし、仕事上人の好き嫌いは原則関係ないと思っています。
ただ、信頼している人に愚痴はこぼすことはあります。
悪口と愚痴や指摘は別個のものと考えてもいます。
悪口を平気で触れ回る人の方が自分は信用できないなと思います。