【読了】イヤシノウタ

ばななさんの小説にはまったのはTSUGUMIからのN・Pで、
エッセイなども含めてすべての本を読み漁りました。
しかしながら一時期、なにか違和感を覚えて遠ざかっていました。
大人になってからまた読むようになりました。

多分、一時期離れたのは違和感に対処できなかったからかなと思います。
はまっていただけに、本の中で正しいこととして語られている事柄が
自分は正しいと思えないとき、うまく自分の中で消化できなかったのです。
大人になってある程度自分の考えが確立されたせいなのか
違和感はあってもそれに戸惑うことはなくなりました。

今回のこの本にもところどころ違和感はありました。
でも、ここは一緒だけれどここは私の考えとは違う。ただそれだけのことだ、と思えるようになりました。

私は数年前に愛犬を亡くしましたが、数年経ったということが全く信じられない状態なので、『いつも去年』に大変共感を覚えました。

プライベートのときに仕事の話は野暮だという感覚、確かに最近の人には無さそうです。
プライベートでも顔を売ってなんとかして繋ごうというのがむしろやり手に思われています。
お礼もせずに聞き逃げをするような人からアイディアを守るためにはお金を取るしかないというのも確かにそうです。
でも、なんだか寂しいなと思います。
対価を払うのは当たり前ですが、今の世の中「こんなことでお金を取るの?」と思うことにはちょくちょく出会います。
反対に、これぽっちのお金でこんなに大切なことを教えてもらって良いのだろうか、と思うこともちょくちょくあります。
自分は後者でいたいし、後者の人にお金を落としていきたいなと思っています。

身体が表に出ない痛みを肩代わりしてきた、という言葉にも共感です。
自分の身体のことが自分で一番わかっていなかったりして、身体に不具合が出て初めて
「私、そんなに辛かったんだ」と気がついたことは何度かありますし、十代の頃のように体力にまかせて酷使せず
大切に労ってメンテナンスしてあげようと思っています。
肉体を器だと私は思っていて、よくある言い方だと思うのですが、馬という表現もまた面白いです。
馬に乗って、馬の面倒を見ながら人馬一体でする旅という考え方は素敵だなと思いました。

だめもと詐欺という言葉、面白いし確かに、と頷いてしまいました。だめでもともと、OKだったら儲けもの、というだめもとで無茶を言い、相手が考えなしだったり、いい人過ぎてことわれなかったりするのを狙っている
誠実さのない人に、時々出会うようになってしまったなと思います。
これも近代日本の良くないところです。
残念ながら、できるだけそうしたことからは距離を置き、自分はけしてしないという対処しかできないのでしょう。