偶然でも光悦のような人を惹き付けるのが、武蔵の力のひとつでもあるのかもしれません。
刀は飽く迄も人を斬るためのもの。
刀を究極に美しくあらしめるためには、刀であってはならない。
愚直に生きようとする伝七郎は人間としては嫌いではありませんが、
道場主としてはやはり植田が言うことが正しいように自分は思います。
ましてや真剣での立ち合い、自分が死ねば流派が廃れる。
もしものことは考えないのは潔いと言えなくもないのですが
もしもは絶対にありえないといえるほど自信も持てない伝七郎。
もし自分が彼の立場なら、試合の取りやめを武蔵に申し込む気がします。
当主としての父の教えは"十度闘って、十度勝てる相手としか闘わぬこと"。
それはやはり、守るべき教えだったように思うのです。
又八がかつては同列にいたと思った友人にどんどん離されていくことに
焦りを感じる気持ちはよくわかります。
ただ、なにかある度反省するかと思いきや、その場で落ち込みはしても
改めるということをしないところが、救いようがありません。
小次郎に、”こうなりたかった自分”を見るのは良いのですが
その後が酷すぎます。
努力をする訳でもなく自分を認めず、小次郎を利用しようとし、
しかも小次郎と意思疎通ができるという嘘までつくのは
あまりに酷く、見ていられません。