訳者あとがきにあった山野井泰史さんの関連書籍を読んでサードマンという現象を知り
興味が湧いたので読んでみました。
きっかけが山野井さんの本だったので、山での遭難などの過酷な状況で現れる存在という認識だったのですが
様々な状況のケースが挙げられており興味深かったです。
戦地で亡き友が出て来る、亡くなったおばあちゃんが夢枕に立つなどの
心霊現象として語られがちなエピソードもサードマンと考えることもできるわけです。
小屋に避難した4人が寝ないように部屋の四隅に立って壁沿いを歩き、隣の角に立っている友人の肩を叩くことで一夜を乗り切ったというよくある怪談も、元はサードマン現象だったのかもしれません。

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現代では確かに仕事や遊びのためにカプセル環境に入ることがあり、
単調なのは未開の場所だけではありません。
人類の過去に単調な世界があったように、人類の未来にも単調な世界があるのだ。
という言葉はなんだか不思議な気持ちになりました。

脳の中に人を冒険に向かわせる原始的な部分があるというのもなるほど、と感じました。
冒険というほど大げさではなくても、同じ品が新しいパッケージで再販されると欲しくなるノベルティボーナスなど
些細な”冒険”を求める部分は確かにあります。

実験で迷路に入れられているラットも、わざとまだ行ったことがない知らない道に行こうとするというのも驚きでした。
冒険は動物の本能ということです。

サードマンについてみんなが一様に、
いないはずなのにそこにいることが奇妙であったり不気味であったりと感じるのに
怖くない、信頼できると感じているところが不思議です。

多くの宗教では修行として隔離された単調で退屈な状況を利用する伝統があると言葉にされて
これも納得のいくものがありました。
人は単調さから逃れようとして単調な状態に身を置いている。
というのはなんだか面白いです。

子どもに空想上の友達がいるという話は耳にしたことがありましたが、3~6歳の子供の約30%に空想の友達が現れ平均半年続くというのは知りませんでした。
大人からはごっこ遊びをしているように見えても、実は子ども本人にとってはそこに友達が存在しているケースは
実はもっと多いのかもしれません。

幻肢痛も知識としては知っていましたが、それと同じ理屈でサードマンを説明する説には大変驚きました。

集団ヒステリーのように精神状態も伝染するというのは理解できるのですが、
誰かが叫びだしたから不安が伝染するというのならともかく、
言葉にすると変に思われるかもしれないから口にしなかったのに
複数の人間が同じサードマンを見ていることや、
舵を取ってくれた、体を起こしてくれた、筏ごと上空に浮き上がった
といったケースはどうなのでしょうか。
偶然や錯覚で片付けられる問題なのでしょうか。

サードマンは惑わしたり危害を加えたりしてくることがないという点が、妄想とは異なっています。
でも、極限状態に陥っている本人にとって、それがサードマンなのか妄想なのかは判別することは難しいように感じます。

二分心論については初めて知りました。
古代は右脳が神、左脳が人の側だったこと、存在が右側にいることが多いというのは面白いです。
ストレス下では左脳の力が弱まり論理的ではなくなり、独創性の右脳が優勢になることでサードマンが現れるというのも
納得がいくような気がします。

『経験への開放性』というのはとても興味深かったです。
想像力に富み馴染みのない新しい経験、考え、感情を探索考慮し受け入れる意思が根本にあることを指し、
必要状況が全て揃っても開放性が低いとサードマンは出てこないというのは
大変納得がいくものでした。
信心の強さや生きる力が人より強かったからサードマンが助けてくれた、といってしまうのは
他の人が劣っているかのように聞こえ、ずっと疑問に思っていました。

非常に面白い内容でした。

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