天は人の上に人を造らずという言葉ばかりが有名で
そのあとにどう続くのか、ということが残念ながらあまり知られていないと思う。
自分も読んだことがなかったので、現代語訳でも兎に角まず読んでみよう
と思い手にとって見た。
書かれた時代をあまり感じさせず、あまりにも現代にも当てはまる内容で
少なからず驚いた。
よく言われる『天は~』の言葉やタイトルから想像するよりも
なかなかシニカルでシビアな内容で興味深かった。
何かを注意された人間が「おまえに迷惑はかけていない」と言い返す
というのは時々見かける光景ではないかと思うが
そうではなく、ある人がやりたい放題やるのは、他の人の悪い手本になり
やがては世の中の空気を乱してしまう。
人の教育にも害にもなり、その罪は許されない と断定されていて唸らされた。
何かと西洋諸国から遅れをとり卑屈になりそうなところだが
同じ人間なのだから
”こちらで余っているものは向こうに渡し、向こうで余っているものはこちらにもらう。
お互いに教え学びあい、恥じることもいばることもない。
お互いに便利がいいようにし、お互いの幸福を祈る。”
と書かれてあるところも面白かった。
学問が無い国民は哀れとする理由も、
知恵がないと恥を知らず無知ゆえに貧乏になり、自分の身を反省せず他者を恨み
ひどくなると集団で乱暴を働くからだとする。
”世の中の法律を便りにして、身の安全を保って社会生活をしているにもかかわらず、
依存するところは依存しておきながら、
都合が悪くなると自分の私利私欲のために法律を破ってしまうやつがいる。
矛盾していないだろうか。”
まるで現代の人間のことを言われているかのようだ。
政治批判もよく行われるが
”政府へこの国をまかせて、校務を取り扱わせる約束をして、
損得ともに引き受けることになっているのだから、
ただ金を損したときだけ、役人の不手際をあれこれ議論してはいけない。
人民たるもの、普段からよく気をつけて、
政府の処置を見て安心できないということがあれば、
その旨親切に知らせて、遠慮なく、穏やかに議論すべきである。"
これも現代に当てはまるだろう。
口汚く罵り品のないプラカードを持ってデモで練り歩く癖、
依存はしているというのは現代社会に生きる人間にもそのまま言えることだ。
間違いは間違いとばっさり切り捨て、
衣食住を自分で賄うことは勿論だが、それが出来たからと言って
動物に負けていないだけであって、世の中を変えることをしなければ
人間のつとめを果たしたとはいえない とする。
“われわれの仕事というのは、今日この世の中にいて、われわれの生きた証を残して、これを長く後世の子孫に伝えることにある。”
今一度襟を正して、人として生きていきたいと思った。
2015.4.3