【読了】逝きし世の面影 (平凡社ライブラリー)

“文化は滅びないし、ある民族の特性も滅びはしない。それはただ変容するだけだ。滅びるのは文明である。”
という言葉が突き刺さるようだった。
日本という国の文明は、もうなくなってしまったのである。

この本を読んでいて、当時日本へ来た外国人たちが
書き残した文章を目にするにつけ、私が連想するのは
指輪物語のホビット庄だった。
陽気で親切でどんな困難を前にしても前向き。
芸術に対する理解が高く
小さくて逞しく可愛らしい、率直だが控えめな
まるでホビットのような
ファンタジー物語にいそうな本当に妖精かのような
日本人という民族の特性は、微かに残ってはいるものの
今は失われてしまった。それが残念で、苦しくてならない。

ハリスが安政三年に下田のアメリカ領事館にやってきたとき、
日記に
『厳粛な反省ー変化の前兆ー疑いもなく新しい時代が始まる。敢えて問う。日本の真の幸福となるだろうか』
と記したと言う。

二年後下田に来たイギリスのエルギン使節団の艦長も
『衣食住に関する限り完璧にみえるひとつのシステムを
ヨーロッパ文明とその異質な信条が破壊し、
ともかくも初めのうちはそれに替わるものを提供しない場合、
悲惨と革命の長い過程が間違いなく続くだろう』
と述べている。

ヒュースケンもまた日記に、
『いまや私がいとしさを覚えはじめている国よ。
この進歩はほんとうにお前のための文明なのか。
この国の人々の質樸な習俗とともに、その飾りけのなはを私は賛辞する。
この国土のゆたかさを見、
いたるところに満ちている子供たちの愉しい笑い声を聞き、
そしてどこにも悲惨なものを見出すことができなかった私は、
おお、神よ、この幸福な情景がいまや終わりを迎えようとしており、
西洋の人々が
彼らの重大な悪徳をもちこもうとしているように思えてならない。』
と記す。

プロシャ商船の積荷上乗人、リュードルフは
『日本人は宿命的一歩を踏み出した。
しかし、ちょうど、自分の家の礎石を一個抜き取ったと同じで、
やがて全部の壁石が崩れ落ちることになるであろう。
そして日本人はその残骸の下に埋没してしまうであろう。』
と述べ、

長崎海軍伝習所の教育隊長カッテンディーケは
『私は心の中でどうか今一度ここに来て、この美しい国を見る幸運にめぐりあいたいものだとひそかに願った。しかし同時に私はまた、日本はこれまで実に幸福に恵まれていたが、今後はどれほど多くの災難に出会うかと思えば、恐ろしさに絶えなかった故に、心も自然に暗くなった。
自分たちがこの国にもたらそうとしている文明は日本古来のそれより一層高いが、それが日本に果たして一層多くの幸福をもたらすかどうかは自信がもてない。』
と言う。

ポンペ
『日本に対する開国の強要は、十分に調和のとれた政治が行われて国民も満足している国に割り込んで社会組織と国家組織との相互関係を一挙に打ち壊すような行為』

フランス人画家レガメ
『日本人の微笑みは全ての礼儀の基本であり、生活のあらゆる場で、それがどんなに耐え難く悲しい状況であっても、このほほえみはどうしても必要なのであった。』

チェンバレン
『欧米人にとって古い日本は妖精の棲む小さくてかわいらしい不思議の国であった。』

エルギンの秘書オリファント
『日本人は私がこれまであった中でもっとも好感のもてる国民で、貧しさや物乞いの全くない唯一の国です。
私はどんな地位であろうともシナへ行くのはごめんですが、日本なら喜んで出掛けます。』

こうしたケースは枚挙に暇がなく
こうして愛された日本が既に亡いということは本当に辛い。

たとえば客待ちの人力車夫たちが、客が来そうになるとくじ引きで決めて
恨みっこなし。お客さんが来てくれなくてもみんなで笑いあって終わる
という和やかさ。これは自分の国にはない、とか、どこの国では
客の取り合いになったとか書かれているが
現代の日本では我先に向かい客を取り合うこともあるだろう。

日本民族の丁寧さ、礼儀正しさ、素朴さ は
全く受け継がれていないわけではないが、やはり特性は変容し
文明は滅んでしまったのだ。

庶民の一婦人ですら動きのひとつひとつが優雅で
「ならばわれわれを日本人が野蛮人扱いする権利を
認めないわけにいかない」とボーヴォワルに言わしめたほどの
日本人の物腰というものは、今は一庶民にすら備わっているとは
とても言い難いだろう。

職人は自分の作るものに情熱を傾け、
かけた日数や商品価値ではなく自分の満足度が重要視し
生活を楽しむためにのみ生きる。

身分とは職能であり、職能は誇りを本質としていた。
弱者が屈服するのではなく、
礼儀正しく義務を果たせば後は自然のままの関係で
奴隷的なところや追従的なところはまったくない。
やはりこうしたところも、現代日本では少ないところかと思う。
ブラック企業や社畜は奴隷的で追従的で
自然のままの関係でいられることは殆ど無いだろう。

人前で裸体を晒すことに抵抗がなく、
男女混浴していた江戸時代の女性のことを
『堕落する前のイブ』と表現しているところは成る程と思った。
それは恥ずかしいことなのだと教えることが
果たして正しいことなのか否か。

子供に体罰をせず溺愛。言葉で叱るのみ。
赤ん坊が泣くのを聞いたことがない。いやいや服従させたりしない。
甘やかされているがよくしつけられている。
子供たちだけで遊び年長者が面倒を見て独立した世界。
年長者がまとめて下級生の面倒を見つつ遊ぶというのは
公園の利用すら禁止されるケースも有る現代にはやはり難しい。

劇場や寺参りにも子供をおぶって連れて行くというのも
子供の泣き声が五月蝿いとされる昨今では難しいだろう。

『楽園としか言いようがない』
『みたまえ、これが江戸だ』
そう言わしめるほどの魅力を持った文明。

元に戻すことは出来ないのだろう。
それでも面影を追い、欠片を大事に守って行きたい。
それがこの国を命がけで守ってくれた祖先への
せめてものご恩返しではないのか。

最近そういう風に考えることがよくある。

2015.6.30